2020年06月10日

Category サンガコラム終活

えっ、同じ年齢なのか

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 スーパー2階で目当ての果物をかごに入れ、1階レジへの下りエスカレーターに乗ったところで、妻から頼まれた物を買い忘れたと気づいた。「まだ戻れる」。とっさに駆け上がろうとして転び、しこたま腰を打った。踏み出した足が一段上の高さに届いていなかった。「恥ずかしい」。見ていた人はいないか、幸い周りに誰もいない。旧知の接骨院で先生から「年寄りの冷や水だね」とからかわれた。

 どうも、自分の実年齢と感覚がかみ合わない。記者生活でもそんな経験があり、二つの取材が記憶に残っている。

 一つは、鹿児島県のハンセン病療養所を訪ねたとき。「中学生でしたよ、ここへ来たのは。父が振り返りもせずタクシーで去ったことを覚えています」。聞けば、私と同じ終戦直後の生まれ。「えっ」。自分の中学時代には偏見に類する話しか知らず、もっと上の世代のことと思っていた。なので、ハンセン病隔離の国家賠償請求の判決が「人生被害」と表現したようなことは、大人になっても見えるはずもなかった。

 もう一つは、東京の夜間中学の取材で卒業生の元へ行ったとき。「父は戦争の銃弾が体に残っていたので、革靴づくりの仕事を手伝おうと夜間中学に替わりました。父は猛烈に反対したけど、押し切りました」。この人も同じ年の生まれ。「えっ」。同年齢の人が中学生時代に昼は働き、夜は学校で勉強する情景は想像すらしなかった。

 昨今は高齢ドライバーの交通事故がしばしば報道される。「70歳を超すとアクセルの踏み間違いがあるんだ」。これまた、人ごとにしか思えない。実年齢と感覚のギャップ。もっともこの「感覚」、蓄積された記憶や体験による「思い込み」と混然一体になっていて、なんともあやふやだ。

 

 

 

井上 憲司 (元社会部記者)

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