サンガコラム
なんなんですか
「なんなんですか、これ。なんで私がこんなことにならなきゃいけないのか」
2024年1月1日に能登半島地震が起き、救出作業が続く全壊した家の前で、子たち家族を失った人の叫びだ。誰も答えられないだろう。
何々のせいだとか、まことしやかに言うのは論外として、分かったふうに「解説」することが、どんなに人を傷つけることか。
いっとき、「傾聴」といって、その人の身に寄り添い、心の声を聞き届ける大切さが言われた。今の時を共に生きている者として大切なことであろう。しかし、できるのか。気持ちはあっても、本当に寄り添うことができるのか。耳を傾けることがポーズにならないか。
かつて、途中失明した友人に、片腕を貸しながら「ここから坂だよ」と声をかけたら、「わかっている」と笑って、その後、「やっぱり、目が見えたらどんなにいいだろうと思うんだよ。だけど、見えないのが今の現実。その現実を生きろと言われているような気がする」とぽつりと言った。「そうか」と返しながら、二人で夜道をぼちぼち歩いた。宝石のような思い出だ。
友人も答のない問いの前に立ちつくしたのだと思う。田川建三氏に『立ちつくす思想』という表題の本があった。現実に向かって起立の姿勢を保つという意味だが、「なすすべもなく立ちつくす」という言い方もあり、ただ呆然(ぼうぜん)としているさまが浮かぶ。考えてみると、人生は「立ちつくす」の連続でないか。
安易な答えはそれこそ「民衆の阿片」でしかない。「なんなんですか」、「なんでですか」。身の裂け目から噴き出てくる呻(うめ)きの前に立ちつくす。その一点に、「その現実を生きよう」と、仏法を聞き続けた友人の教えがあると感じている。
狐野 秀存(大谷専修学院 前学院長)
学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。
時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。
自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。