2024年11月13日
Category サンガコラム
「なんなんですか、これ。なんで私がこんなことにならなきゃいけないのか」
2024年1月1日に能登半島地震が起き、救出作業が続く全壊した家の前で、子たち家族を失った人の叫びだ。誰も答えられないだろう。
何々のせいだとか、まことしやかに言うのは論外として、分かったふうに「解説」することが、どんなに人を傷つけることか。
いっとき、「傾聴」といって、その人の身に寄り添い、心の声を聞き届ける大切さが言われた。今の時を共に生きている者として大切なことであろう。しかし、できるのか。気持ちはあっても、本当に寄り添うことができるのか。耳を傾けることがポーズにならないか。
かつて、途中失明した友人に、片腕を貸しながら「ここから坂だよ」と声をかけたら、「わかっている」と笑って、その後、「やっぱり、目が見えたらどんなにいいだろうと思うんだよ。だけど、見えないのが今の現実。その現実を生きろと言われているような気がする」とぽつりと言った。「そうか」と返しながら、二人で夜道をぼちぼち歩いた。宝石のような思い出だ。
友人も答のない問いの前に立ちつくしたのだと思う。田川建三氏に『立ちつくす思想』という表題の本があった。現実に向かって起立の姿勢を保つという意味だが、「なすすべもなく立ちつくす」という言い方もあり、ただ呆然(ぼうぜん)としているさまが浮かぶ。考えてみると、人生は「立ちつくす」の連続でないか。
安易な答えはそれこそ「民衆の阿片」でしかない。「なんなんですか」、「なんでですか」。身の裂け目から噴き出てくる呻(うめ)きの前に立ちつくす。その一点に、「その現実を生きよう」と、仏法を聞き続けた友人の教えがあると感じている。
狐野 秀存(大谷専修学院 前学院長)