2024年11月13日
Category サンガコラム終活
家からちょっと離れたところに古い神社がある。門前に焙煎(ばいせん)したコーヒー豆を売るお洒落(しゃれ)な店がある。道をはさんだその斜め前に、古いアパートがあって、戦後、アメリカ進駐軍の宿舎だった。50年前、そのアパートに住んでいた女性がいた。
山麓に棲み梟(ふくろう)の声近し
俳句を作っていた。一人暮らし。仕事は派出婦、付き添い婦。絶滅が近い職業。(付き添い婦はすでに法律で廃止されたが、派出婦は今風に表現すれば、家事代行サービスとでも言えようか。)
病名は云えず看取って明(*)易し(*夏の早朝)
四六時の点滴を守り年移る
風(*)死して明日の派出に胸いたむ(*凪)
労働の句が並ぶ。
口に苦き徒労の汗を拭ひたり
夏やせの看取り疲れは口にせず
仕事は、東は兵庫県の香住の病院から、西は米子市の医大病院まで。鳥取市内の精神科病院にもしばしば泊まり込んだ。
旱(ひでり)星(ぼし)患者眠らせ襁褓(おむつ)干す
俳人が手にする言葉は味深い。旱星はさそ
り座の明るいアンタレスのこと。夏の星。襁褓の文字は死語に近い。現代は紙おむつが席巻。おむつを干す、という行動が消えた。
病人の世話で追われる日々の隙間に、息をつく句も印象的。
冬夕焼一人前なる刺身買う
仕事帰り、今日もよく働いた、ご褒美にアパートの近くの「角脇」という鮮魚店で季節の新鮮な魚の刺し身を一舟買った。いい句だ。それに彼女の
蕗の薹蕗の薹きざみ病後の汗うまし
独寝は暢気寝茣蓙の肌ざわり
の3句がぼくは大好き。個性を浮き出す生活俳句だと思う。
老いについての句を探してみた。
老斑の腕にすべすべ冬至風呂
年用意老後の独居かなしまず
潮浴びの肋骨張りし老涼し
1914年生まれ、2008年没。最期はぼくらの診療所で、94歳で。
老いや死への向かい方は、生き方と同じで湿気が少なかった。1944年にシングルマザーとなり、東京の親類へ息子を養子に出す。そのあとの単身の苦労の日々を淡々と、俳句に綴(つづ)っていった。
徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。