2019年02月12日

Category サンガコラム

せめてもの倫理

タイムライン

 20歳のころに倫理学を専攻して以来すでに50年近くが経過している。その間、大学に就職し、家庭を持ち、子どもたちが成長し独り立ちし、定年退職し、現在は生まれ育った浅草にひっそりと暮らしている。若いときのように、善とは何か、自己とは何かといっ
た問いに身を苛まれるような焦燥感はないものの、それらの問題に明快な答えが見いだせたわけでは決してない。むしろ、善悪をめぐる倫理および倫理学のむずかしさを知らされた半世紀だった。

 また、倫理や倫理学を考えてきたことで、こちらの人間性が改善されたかと問われるなら、これに対しても胸を張って「もちろん」と答えられないのが辛い。以前より悪くはなっていないと自分では思っているけれども、家族や周囲の者たちは、現在でも十分に悪
い性格だと言うかもしれない。いずれにせよ、学問をすれば必ず人間性が養われるということではないらしい。

 では、この50年はまったくの無駄だったのかと言えば、そうでもない。善や正義ということが成り立つためには、せめてこれだけの条件はクリアしていなければなりませんよということを倫理学は言うことができるからである。たとえば、人間の自由を拘束する
ものよりは拘束しないものを、排除するという閉じた方向性よりは受け入れるという開いた方向性を、暴力の容認よりは暴力の拒否を選ぶといったことである。

 そんなの当たり前じゃないかと言われるかもしれない。しかし、自分の目で見て自分の頭で考えてほしい、これらの事柄が日常の生活で、家庭で学校で会社で社会で世界においてどれだけ無視され、ないがしろにされているのかを。

 

池上 哲司(いけが・みてつし)
大谷大学名誉教授

最新記事
関連記事

記事一覧を見る

カテゴリ一覧
タグ一覧
  • twitter
  • Facebook
  • Line
  • はてなブックマーク
  • Pocket