社会×共育×仏教―育つ力、育む力―(3) | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年05月14日

Category 親鸞フォーラム

社会×共育×仏教―育つ力、育む力―(3)

パネリスト 齋藤 孝 氏 小島 慶子 氏 一楽 真 氏 コーディネータ 本明 義樹 氏

2017年3 月19日、丸ビルホール&コンファレンススクエア(東京都千代田区)を会場に「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」が開催されました。本抄録は「社会× 共育× 仏教-育つ力、育む力―」をテーマに行われたシンポジウムの内容です。

「共に」ということ

人間というのは、そもそも一人では人間になれない

一楽 今回「共に育つ」というテーマを聞いて初めに思ったのは、人間というのは、そもそも一人では人間になれないということです。私たちは、いろいろな関係の中で人間に育てられていきます。何に出会うかによって、どのような人間になるかが決まっていく。いわば縁次第というものを抱えているわけです。例えば戦争地域であれば、学校へ行く前に銃を撃つことを覚えなければならない。親鸞の言葉で言えば「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』第13章)。そうなるべき業縁がもよおしたならば、どのようなことでもしでかしてしまう。それが人間だという人間観です。これは何をやっても仕方がないという自己弁護の言葉ではありません。縁次第で、どうにでもなっていく人間の危うさ、それを知らなければいけないということです。

 今の時代は、人が育っていく場の力が極めて薄れているということを感じます。先ほども地域の教育力、家庭の教育力が衰えてきたという話がありました。私が日ごろ学生たちと接していて思うのは、出会っている世界がすごく狭くなっているのではないかということです。例えば尊敬する人は誰ですかと学生に聞いてみます。一昔前は、歴史的な偉人や、好きな作家さんなどの名前がよく聞こえましたが、昨今は「お父さんです」「お母さんです」という言葉が目立って聞こえるようになってきました。これは悪いとは決して思いません。親を尊敬できるというのは素晴ら…

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