お寺の掲示板Vol.2 | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年02月14日

Category サンガコラム

お寺の掲示板Vol.2

愚かな愚かな
わたしです
それさえしらぬ
わたしです(木村 無相)

 高校2年の春、体育の授業中に鉄棒から落ちて首を強打し、軽いむち打ち症で入院しました。病室に入ると、僕のベッドの向かい側に、一人の患者さんが横になっていました。「こんにちは」と声をかけ、その人を見ると、思わず「あっ」と驚いて、息を呑んで立ち尽くしてしまいました。20歳代の男性、寝たきりの状態であることが一目でわかりました。そして、足を引きずりながら一人の女性が病室に入ってきました。「私はこの子の母親なの」と挨拶があり、我が子のベッドの下に寝泊りをして、看病しているということでした。
 その親子はよく話かけてくれました。中学を卒業し建設会社に就職。工事現場の足場から足を踏み外し、5メートル下に真っ逆さまに落ちて、首を骨折。全身不随の状態になったそうです。「兄ちゃんは良かったなぁ、俺と同じようにならなくてなぁ」と言いながら、いろんな話をしてくれました。母親は小児マヒのため片足が不自由になっていました。その親子に暗さはありませんでした。看護師さんにもユーモアたっぷりの会話で、いつも笑わせていました。
 入院中、楽しく過ごすことができました。でも何か重たいものも感じていました。それは決して口にできないことでした。「僕は軽いむち打ち症でここにいる。楽しそうに話をしてくれているこの人は、たぶん一生、この状態から回復することはない。僕も一歩まちがえれば、同じようになっていたかもしれない。ならなくて本当に良かった……」。その人と自分を比べて、なぜか妙に安堵している自分がいたのです。絶対に他言できない本音でした。
 近所のおばちゃんが、入院したことを知って本を差し入れてくれました。遠藤周作の『おバカさん』でした。そのタイトルにドキッとしたのです。「おバカさんはこの僕だ。内側では不謹慎な思いをもって、外側ではにこやかな顔をしている僕のことだ」。夜中に眠れず、布団の中でなぜか涙が溢れてくるのでした。
 退院の日が来ました。「通学路だから、また来るね」と、二人の手を握って、別れました。その後、僕は二度とその親子を訪ねませんでした。訪ねることができなったのです。あの親子に接するのが怖かったのです。それは僕の本音が僕にとって怖かったのです。そう思ってしまう自分を見たくなかったのです。「なんて薄情な冷たい愚かしい自分だろう」、あの親子が僕の胸
に突き刺さっていました。今まで感じたことのない痛みが自分の中にありました。
 他と比べて善い悪いと思ってしまう、それが愚かなことであり、そしてそれに気づかない、もうひとつ深い愚かさも無意識に抱えながら生きているということを、今もあの親子から問われ続けています。

 

海 法龍(かい・ほうりゅう)

神奈川県/長願寺

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