コラム|103歳の点滴 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2022年10月05日

Category サンガコラム終活

103歳の点滴

老いるについて―野の花診療所の窓から  Vol.68

 何歳からを老人と呼ぶか。老人の定義は困難を極めてきた。自分が「老人」、と決めた人を老人とするというのも一案だが、うつ病の人がなげやりに前倒し気分で「老人です」、と決めた時、どうするかという問題もある。逆の現象もある。どちらかと言うと、そちらが増えている。

 スミさんは103歳。78歳の息子さんと二人暮らし。電話がかかる。「母、熱が39度です。往診頼めませんか?」。ところがこの時代、ひょこひょこと「どうですかあ」と玄関上って患者さんのそばに、ということにはならない。玄関で感染予防の防護服を着る。まず、コロナ抗原テストを実施する。「ごめんね」と言って鼻に細い綿棒を入れてこちょこちょ、っと検査。「いたっ!」とスミさん。「陰性です」と言って診察を始める。何とやっかいな時代だ。「プリンを食べさせたあと、咳しまして」と親孝行の息子さん。誤嚥性の肺炎のようだ。採血検査をする。「ヤメテー」の大声。

 入院となった。この年齢、以前なら(ここまで生きられなかった)すべての治療を断念し、全ては神にまかせた。なぜか今は違う。「治るものなら治して欲しい」と息子さん前向き。「えっ、このお年で?」。点滴が入る血管すら見えない。診療所のCTで肺炎像を確認のあと、右鼠径部から点滴のため、細いカテーテルの挿入を試みる。たくさんの人にそのカテーテルを挿入してきたが103歳は初めて。両手は拘縮している。屈曲する足をそっと延ばす。延びきらない。カテーテル挿入が曲芸に近くなる。こんなこと医師会、厚労省、人権委員会、許すんだろうか。「ちょっと痛いですよー」とレントゲン技師見習のKさんが声を掛ける。彼は誰にもやさしい。動脈は硬化して錆びた水道管のよう。きっと静脈も蛇行している。なにしろ103歳。見事、入った。「4か所縫って終わりますよー」とKさん。これで食べられずとも命はつながる。

 一週間後、スミさん、穏やかな顔で息子さんが介助する出汁ゼリーを食べた。息子さん、嬉しそう。ぼくは悪いことをしている気にもなる。「老人」の定義の混沌の波に翻弄され、どこまですればいいのか、困ってしまう。

 

 

 

徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。

最新記事
関連記事

記事一覧を見る

カテゴリ一覧
タグ一覧
  • twitter
  • Facebook
  • Line
  • はてなブックマーク
  • Pocket