しょうがないのか?|ジャーナリスト・キャスター 堀潤さん 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2022年02月10日

Category インタビュー

しょうがないのか?

ジャーナリスト・キャスター 堀 潤さん

小中学校の頃はいじめられっ子だった。親の仕事の都合で転校が多く、ちょっとした言葉の違いや制服の違いで、嫌なあだ名をつけられたり 、上靴に画鋲を入れられたりした 。
NHKを飛び出して8年、誰にも縛られず自由に取材や発信ができるフリーランスの道を選び、活動の舞台が広がった。

 堀さんの意識を大きく変えたのは、東日本大震災と原発事故だった。どんなことがあっても、小さな主語で、一人ひとりの固有名詞で伝えるべきだと痛感した。

 何かを語るとき、「被災者は」や「被災地は」というのはとても大きな主語になります。同じ被災地でも地域によって復興の状況は様々です。かつて「被災地は苦しんでいる」と発信したとき、「ありがとう」と言ってくれる人もいれば、「堀さんが被災地は苦しいと言い続けるから、いまだ風評被害に苦しんでいる」と言われたことがあります。よかれと思って言ったことが、かえって大きな負担を強いてしまったんですね。

 大きな主語は、暮らしのなかに跋扈しています。男は、女は、日本は、あの国は、と大きな主語で語ってしまう言論が溢れています。はたして、そうして語られる現場に、真実はあるのでしょうか。もし、意図的に大きな言葉で扇動されたら、あっという間に分断を生じさせることになる。

 小さな主語を使う現場というのは、すごく忍耐もいることだし、時間もかかる。非常に淡々としている現場でもあるんですね。それを放棄して、分かりやすい、派手な、誰もが共感しやすい現場にパッと群がっていくというのが、現代のメディアの大きな問題だと思うんです。

 

 新型コロナウイルスの感染で、日本が大いに揺れた。感染拡大への不安と恐怖。ワクチンを打つまでは、電車に乗るのさえ不安だった。

 私自身感じるのが、自分で考える力がどんどん失われていくことへの危機感です。今回のパンデミックでも、もっとコントロールされて構わない、という欲求があったと思うんです。隔離はしょうがないとか、緊急事態の強い措置が必要だとか、そういう願望が起きてくる。それまで個人の自由は必要だと言っていた立場の人が、もっと政府は強い対応が必要だったと言わせしめてしまう。そんな不安や恐怖がはびこる世界では、これまで慎重に自分たちの考えを持とうと言っていたものが吹き飛んでしまう。

 そこがぼくの一番の関心事で、同じことを先の大戦下でもしてしまったと思うんです。学徒出陣で出兵した多くの学生たちもそれまで欧米の小説や映画に親しみ、戦争なんて馬鹿げたことはしない、と思っていた。しかし、戦争が始まってみると、始まったからには家族を守らなければいけない、負けてはいけない、勝つことができないのであれば、散り際を考えるというような形で戦争に組み込まれていく。

 しょうがないという思いというのは、非常に難敵です。「コロナだからしょうがないじゃないか」に向き合い続ける胆力というか、それがより求められると思うんですね。

 ぼくは民主主義の対義語は沈黙だと思っています。独裁者がいなくても、こうだろうという雰囲気が出来上がってしまって、それに抗えなくて思わず沈黙してしまう。それは、誰かが決めたものによって動かされて支配されていく構図です。だから「私はこう思う」ということが自由に言い合えること、そのために立場の違う人同士の交流を諦めないことが、非常に重要だと思います。

 

 

 

<Profile>

堀 潤(ホリ・ジュン) 

 1977年、兵庫県生まれ。現在、TOKYO MXで「堀潤モーニングFLAG」のMCを担当。2001年にNHK入局。リポーターとして主に事件・事故・災害現場の取材を担当。12年、アメリカ・ロサンゼルスのUCLAで客員研究員、ドキュメンタリー映画『変身Metamorphosis』を制作。13年にNHKを退局。発信の拠点をNPO法人「8bitNews」に移し、報道活動を続けている。著書に『僕がメディアで伝えたいこと』『僕らのニュースルーム革命』など。
自身が監修・撮影・編集を務めた映画『わたしは分断を許さない』が20年3月に公開。

写真・児玉成一

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