いのちは誰のもの?|エッセイスト 犬山紙子 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2024年11月12日

Category インタビュー

いのちは誰のもの?

エッセイスト 犬山紙子さん

赤ちゃんが生まれて、「タコみたいにグニャグニャだった自分の中に、変わらないものができた」「生まれたのは自分じゃないのに、自分がはっきりするなんて不思議なものだなあ」と思った。

 

 

子育てをしていて、当たり前の景色がガラッと変わったんですね。太陽が明るいとか、空が青いとか、山に緑が繁っているとか、そういったことにこれまで私はあまり感動したことはなかったし、意味も感じていなかったのですが、そういった自然が、なんだか子どものこれからを祝福してくれているように感じられたんですね。休日に、ただ自転車をこいでいるだけで、すごくその日常が幸せというふうに思える。今日は晴れたなとか、そういった何げないことのありがたみみたいなものを、子育てを通して教えてもらいました。

娘も小学生になって、お友だちの数も増えて、これまで家が彼女のほとんどの世界だったのが、急に世界が広がってぐんぐん成長している。親の私が「あれ、これっておかしいんじゃないの?」と思っても、彼女なりの理由があったりするので、子どもの話を聞くことをないがしろにしないようにと思っていますね。

2018年3月に、「しつけ」という名の虐待によって、5歳の娘を死に追いやった虐待死事件が起きた。犬山さんたちのボランティアチームは、社会的養護啓発プログラム「こどもギフト」を始めて、クラウドファンディングで支援を届けた。犬山さんは、虐待をする人たちの孤立を防げていたら、虐待も防げていたかもしれない、と思う。

 

ひらがなで一生懸命に親に許しを請うているんですね。「もうおねがい、ゆるして、ゆるしてください、おねがいします」、そういうメモが残っている。それがマスコミに報じられたことで注目されたんですね。

虐待のニュースを見たとき、なんてひどい親なんだ、こんなの人間じゃないと私も思いました。でも、多くの虐待をしてしまう親は、実は最初から虐待をしたくて子どもを産んでいるわけではないのです。いとおしいと最初は思っている。それが社会や何かに追い詰められて、子育てに余裕がなくなる。主に女性がです。そこは完璧にやるべきだという圧(あつ)、そして自己責任論です。完璧にやれて当たり前、人に迷惑をかけないでというような圧の中で、子育てが孤立して、追い詰められていくのですね。

子どもを守るというのは、私は大人の義務だと思います。そして子育てをしている人に やさしく接することも大切ですね。電車で赤ちゃんが泣いて困っているベビーカーの人が いる。「大丈夫ですよ」と、笑顔を見せるだけでいい。見ず知らずの人に話しかけることはとても勇気のいることですが、もし声をかけるのであれば、その人を責める言い方ではなく、「何かできることありますか」と、やさしく手をさし伸べてあげたいですね。

 

 

<Profile>

犬山紙子

エッセイスト

 

1981年、大阪府に生まれる。中学時代に宮城県へ移住。仙台市の出版社で編集者として勤務するが介護離職し、その後マガジンハウスからブログ本『負け美女』を出版。作家デビュー後は雑誌、ラジオなどのメディアに出演し、テレビでコメンテーターとしても活動している。『高学歴男はなぜモテないのか』『アドバイスかと思ったら呪いだった』『私、子ども欲しいかもしれない』など多数。

写真・児玉成一

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