すべての人々のために | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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すべての人々のために

すべての人々のために
深慮遠望VOL.6

 

 オリンピックの試合に観客を入れるか、会場でのアルコール飲料を認めるかが問題になっていたとき、担当大臣が「ステークホルダーの意向があるので…」と発言していた。ステークホルダーとは掛け金の管理者であり、そこから出資者、利害関係者を意味し、上の発言では東京オリンピック開催に当たってのスポンサーであるアルコール飲料会社のことが念頭に置かれていたのであろう。

 しかし、東京オリンピック開催の最大のスポンサーは都民であり、国民ではないのか。当初予算を大幅に超過した一兆円にも及ぶ金額を負担するのはわれわれであり、ステークホルダーというなら、われわれこそが最大のステークホルダーのはずである。にもかかわらず、オリンピック関係者は都民や国民の声に耳を傾けようとしなかった。総理大臣は「オリンピック開催によってコロナ感染症で亡くなる人がひとりでも増えることがないように開催を中止する」と言うことはなかった。

 問題はこの先にある。政治においては掛け金を出した者だけの意向が考慮されねばならないのだろうか。現実には贈収賄事件として明らかなように、掛け金を出した者の意向が容れられている。しかし、われわれの目指すべき国のあり方とは、掛け金を出すことのできない者をも含めたすべての人々のために政治がなされるということではないのか。

 ステークホルダーという言葉にだまされてはいけない。その言葉が具体的に誰を意味し、その発言が誰のために行われているかを問いただそう。政治においてステークホルダーという言葉を使うこと自体が、発想の卑しさを表している。大切なのは、そのステークホルダーなる者になれない、すべての人々のためにという発想を自らのものとすることである。 

 

 

 

 

池上哲司(大谷大学名誉教授)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

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