2021年06月10日
Category サンガコラム
近所の運動公園には、野球場2面がたっぷりとれるほどの芝生の大広場がある。ふだんは草野球チームやサッカー少年団、あるいは近隣の大学のスポーツクラブなどが貸し切りで使うが、それでも週に2日ほどは開放され、誰でも自由に走り回ることができる。真ん中あたりに座って広場外周の桜並木や、大木も多い雑木林に現れる季節の巡りを眺めていると、そこが都心部であることを忘れてしまうくらいだ。
さて、そんな開放日午前中の芝生広場を、今度は逆に外側から眺めると、まるで区内中の園児(認定こども園児ら)が集まってきているかのようで、改めて驚いてしまう。放たれた小鳥か小動物よろしく、めいめいがそれぞれの方向に勢いよく飛び回っている。それをまた若い先生方が追っかけ、連れ戻す。頃合いをみては「お茶の時間でーす」と、各自持参の水筒から水分補給を促すことも忘れない。
旧来の幼稚園、保育園と異なり、最近のこども園には園庭のないところも多く、それでやむを得ず公園を園庭代わりにするという事情があるにせよ、今がコロナ禍であることさえ忘れさせてくれる賑やかさで、こちらの心まで浮き立ってくる。しかしこれは、田舎では決して見かけぬ光景だ。時おり帰るわが故郷では、保育園の園庭こそ広いものの園児は極端に少なく、集落の広場で子どもたちの声を聞くこともない。なんという違いか。
そんな落差を考えるともなく考えていると、いつの間にか私の後ろに一人の園児が回り込んでいて、「おじさん、何してんの?」。「いや、なに、君たちを見ていただけさ」。なんだか見透かされたようで、妙にどぎまぎしてしまった。
稲垣真澄(フリージャーナリスト)