お寺の掲示板Vol.22|サンガコラム 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2022年06月11日

Category サンガコラム

お寺の掲示板Vol.22

わがみのわろき事は おぼえざるものなり

蓮如上人

 私たちが生きていく中で、「正しく生きようと努める」ことが一般的ではないでしょうか。

 私自身が、悪いことをしたという思いが少しでもあれば、落ち着きを失い、罪悪感に苛まれます。ちょっとした過ちでも、自分を責め、その行為を悔みますし、「自分が正しく生きている」という感覚がなければ、安心して生活を営むことがなかなかできません。

 こういう私たちの生き方は、生活の実態を正確に捉えているでしょうか。実際に私たちの日頃の生活は、極めて深い罪業の上に成り立っていますが、蓮如上人がこの法語で仰っているように、私たちはほとんどそれについて気づいていません。

 4年ほど前に、東本願寺の報恩講の際にその事実に気づかされる経験をさせていただきました。報恩講は親鸞聖人の祥月命日の1週間前から、その恩徳に報いるために勤められます。その時期に東本願寺の施設で行われる、1泊2日や2泊3日の奉仕研修に参加される真宗のご門徒の皆さんがおられます。北米やハワイの開教区からの参加も時折ありますので、その方々に英語で法話をさせていただき、また通訳もいたします。

 2泊3日の最初の夜、その日は研修施設が満員になっており、法話を担当する9人は皆、同じ大部屋を割り当てられました。私のいびきは至って酷いらしく、あくる朝に起きた時、罪悪感に駆られて「申し訳ありませんでした」と自分から皆に謝りました。

 その晩、就寝前に同じ部屋の先生方と語り合っていたところ、ある方が私に「私たちが認識し、謝ることのできる罪はほんの一部で、浅いものだよね」と仰ってくださいました。それを聞いた時に、自分が気づかない内に犯してきたであろう罪に思いを馳せて、ゾッとしたと共に、自分がいつも追究している「正しさ」が如何に、自分の生の事実をごまかす妄念であるということに気づかされたのです。

 私たちが「美味しい、美味しい」と喜んで食べている肉が私たちの口にまで運ばれるためにどれほどの犠牲が払われているかということに気づきもしません。その動物の命を奪っただけではなく、その動物の飼料を育てるために、数多くの虫も殺されます。また肉が安価に提供されるためにその飼育や加工に関わる方は経済的に厳しい生活を強いられ、飼育、精肉、運搬の過程で自然環境も破壊されます。

 そのような罪業深い私たちにも関わらず、私たちは「正しくありたい」という妄念を追いかけることに明け暮れていますが、蓮如上人のお言葉は、より広い、深い、そして自由な世界に目覚めるように促しています。

 

マイケル・コンウェイ(まいける こんうぇい)

大谷大学准教授/僧侶

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