2019年06月12日
Category サンガコラム
小窓のあかり
子どもがスマホで自撮りした動画を見て、「えー、僕の声ってこんな声? 変な声!」という。そうそう、分かる分かる。お母ちゃんも子どもの頃そう思ったよ。カセットテープとラジカセだったけれど。
ラジカセから聞こえる自分の声が嫌いだった。低い濁声。身長も大きく男っぽい性格だったから、可愛らしく控えめな女の子に憧れたものだ。そもそも自分の耳にはもうちょっと良い声に聞こえていたもので、私以外の人たちにとっては、ずっとこの濁声が私の声として認知されていたのかと知った時はショックだった。自分の耳で聞く声と、他人が聞く声。どちらも本当の自分の声なのに、あまりの違いに自身に対しての嫌悪感と居心地の悪さを感じた。
私が知る私と他人が知る私、一体どれが本当の私? 少しでも高く背伸びして位置付けしようと、思春期の悩み多き頃、一生懸命もがいていた気がする。
でも思い起こせば、あんなに嫌いだった私の濁声を、いつでも皆は耳を塞ぐことなく聞いてくれていた。本当の私とは、自分でこうだと思い込んでいる姿ではなく、人と人との関わり、他者とのつながり
からでしか育まれないものなんだと、今になって実感できる気がする。
「変な声!」発言からシミジミ思わされた。今、まさにこの子も自分探しの旅に出ようとしているんだなあと。
島津 和嘉子(新潟県・長養寺)