誰のために葬儀を勤めるのか|法話 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2020年03月24日

Category 法話終活

誰のために葬儀を勤めるのか

「弔い」という行為をもって、故人を偲び、死者に向き合ってきた私たち。果たしてその場から、私たちは何を学び、何を受け伝えていくことができるのでしょうか。

本コラムは氏にお話いただいた講演内容に加筆、修正したものです。

死は「思索」を与える

 阪神淡路大震災で被災したある作家が、テレビの報道番組でインタビューを受けていました。ご自身の身内や知り合いの多くの方々も震災に遭い、亡くなった方もいらっしゃったそうです。そしてそこから感じたことは「死は思索を与える」ということだったとおっしゃっていました。

 「思索」ですから、「死」をとおして考えさせられたということです。では、何を考えさせられたのでしょうか。それは「誰でも災害に遭うし、いのちはいつ終わりを迎えるかは誰にもわからない。私たちは限られたいのちを生きているし、限られたいのちだからこそ、このいのちをどう生きてきたのか、どう生きようとしているのか、そういったことが問いかけとなって、改めて考えさせられました」とおっしゃっていました。

 私はそれを聞きながら「死は思索を与える」ということは、人生のあり方や生き方を「尋ねる」という意味をもった言葉だと思ったのです。

「弔う」の本質的意義とは

 実はこの「尋ねる」が本来の葬儀の意味なのです。私たちは「葬儀を勤める」(葬送儀礼)ということを「弔(とむら)う」と言ってきた歴史があります。先人たちは何故「弔う」と言ってきたのでしょうか。そして「弔う」という言葉には、どういう意味や背景があるのでしょうか。

 

 日本語には、私たちが日常的に用いている意味や使い方とは別に、古い言葉の成り立ちや意味があります。それを古語と言います。「弔う」も古語としての元の言葉があって、それが変化してこの文字になったそうです。元の言葉は「とぶらう」です。「とぶらう」が、時代とともに「弔う」になった。そして「とぶらう」は「訪う」と書きます。つまり、「訪ねる」です。辞書では「尋ねる」となっています。つまり「弔う」、「葬儀を勤める」ということの元は、「訪う」という言葉であり、それは「尋ねる」という意味になるのです。それでは何を「尋ねる」のでしょうか。

身近な人の「死」をとおして

 今年の12月10日は私の兄の七回忌です。6年前にすい臓がんを患い、64歳で亡くなりました。弟として非常につらく悲しい出来事でした。私は生前、兄の年齢を気にしたことはありませんでした。亡くなった時、初めて64歳だったということを意識したのです。兄は64年という人生を、どのように生きてきたのか、ということを考えさせられていたのです。

 私は弟として、近いところで兄が生きた人生を見てきました。いろんなことがありました。学業で悩んだり、恋愛で悩んだり、結婚し二人の子どもにも恵まれてましたが、なかなかうまくいかず離婚し、二人の子どもは離れ離れで生活することになってしまいました。そのことは兄にとって一番辛かったと思います。そしていろんなご縁のなかで再婚し、亡くなるまでの十四年間はとても幸せに暮らしていました。

 一人の人間の人生を、簡単に言ってしまえばこれだけのことですが、しかしそこには、苦しいこと、悲しいこと、つらいこと、嬉しいこと、悔しかったこと、今ここでは言えなかった、さまざまなことを身に受けながら生きてきた兄の一生があります。そういったことを兄の死という事実にふれて、初めて兄の生きてきた人生を、歴史を、自然に尋ねている私がいました。そして気がつくと、いつのまにか自分自身のことも尋ねさせられていました。

 

 兄が亡くなって、私はとても悲しかったのです。でもそういう気持ちになれたのは、兄と私の関係が良かったからでした。もし関係が悪ければ、兄の死を悲しめない自分だったかもしれないのです。

 人間は悲しいことを悲しめない、そういうことも縁によってはありうるということも同時に実感しました。そして兄の遺体に向き合った時、悲しみと共に、もう一つの感情が湧き起こってきたのです。自分もいつかは死ぬ、病気にもなる、それがいつかはわからない、でもそういういのちを生きているという事実。その事実を事実として受け入れられない私がいました。自分の内に怖れがありました。だから兄のような病気にはなりたくない、64歳でまだ死にたくはないという気持ちが、恥ずかしいのですが、私の中から起こっていたのです。

 つまりこの限られたいのち、いつどうなるかわからないいのちを、自分はどう生きていきたいのかということが、死を怖れる私の気持ちの中で問われ、尋ねさせられていたのです。 

葬儀は「これまで」と「これから」を尋ねる儀式

 古代、中国の人たちは死者を草むらの上に安置したそうです。そして月日が経つと肉体は風化し土に還り、骨が残ったのです。ですから「死」という漢字の左側の「夕」は残骨という意味で、骨を表しているのです。右側の「ヒ」は、人がひざまづいている姿。つまり、骨を前にひざまづいて悲しんでいる姿です。それが「死」という文字になった謂れです。

 ということは、「死」は死者だけで「死」という文字になったのではなく、遺された人たちが死者に向き合って、初めて「死」という文字になったのです。つまり死者と生者によってこの文字が成り立っているのです。死者は遺された人たちがひざまづいて悲しみ、「尋ねる」ということがなければ、死者の「死」が成就しないのです。亡くなったその人の人生が成就しないのです。そして遺された人たちが死者に向き合い、骨に向き合いひざまづいて悲しんで、「生死」を「尋ねる」ところに、生者にとっての「死」が成就していくのです。

 そして「死」の上と下に草を書けば、「葬」です。「弔う」です。それを厳粛な儀式として勤めてきた。そこに人間の始まりがあります。人間が葬送儀礼をしたのではありません。葬送儀礼をしたのが人間なのです。死者を悼み、これまでとこれからを今に尋ねる「儀式」なのです。

 だから「誰のために葬儀を勤めるのか」ということは、死者のためであり、同時に生者のためでもあるのです。葬送儀礼を行わないのは、私たちが人間でありながら人間を失っている姿ではないでしょうか。

 

 実はそのことに着目し、課題としたのが仏教です。死者によって与えられた儀式の場で、遺された者が何を尋ねていかなければならないのかということに応えて、葬儀で経典や『正信偈(しょうしんげ)』がお勤めされてきたのです。

 だから経典(お経)や『正信偈』は死者のためにあるのではなく、私たちがこの人生を生きていくために、「何を大切にして生きていかなくてはならないのか」ということを課題にしているのです。つまり私たちの生き方の問題です。私たちが本当に尋ねていかなければならない課題なのです。

 死が縁となり、死をとおして経典は生まれてきました。生きることを生きるという視点で考えたら、思いどおりに生きていきたいということだけになってしまいます。しかし、生きることを「死」という視点をとおして見るならば、終わりがあるということを知らされます。そして、必ず自分の思いどおりにはならないということを知らされる。老いたくない、病気になりたくない、死にたくない。嫌なこと、苦しいこと、悲しいこと、つらいことはないほうがいい。無意識にそう考えて私たちは生きているのです。そういうことが自分の身の上に起こらないように、先祖・死者の供養をしたり、家内安全、無病息災、商売繁盛と祈願する。私たちの都合を中心として、その不安を払いのける形での仏教の儀式です。

 しかし親鸞聖人は、反対方向なんだとおっしゃった。生きることは、嫌なこと、つらいことを無くして生きていくということはできない。逆に、その中を私たちがどう生きていくのか。自分が死ぬということがわかった人生をどう生きていくのか。病を、老いをどう生きていくのか。人間関係をこの経済至上主義の時代社会を、どう生きていくのか。うまくいったりいかなかったりする人生をどう生きていくのか。そのことを本当の意味で課題化しているのが、親鸞聖人が出遇ったお釈迦さまの「南無阿弥陀仏」の教えです。

 

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海 法龍(かい・ほうりゅう)

1957(昭和32)年、熊本県天草市生まれ。大谷大学真宗学科卒業。大谷専修学院卒業。現在、真宗大谷派長願寺住職(神奈川県)。真宗大谷派首都圏教化推進本部員。著書に『報恩の生活』、共著に『僧侶31人のぽけっと法話集』(共に東本願寺出版発行)など。

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