2024年11月12日
Category サンガコラム
文庫本なら何ページでも読めるのに、新聞だと一つの記事が100行を越すと息が切れてしまう。どうしてなのか。そんな疑問がくすぶっている。
社会部へ配属され、司法担当を経て遊軍記者になったころ、デスクから「おい、この原稿の120行は長い。削れ」と言われたことがあった。東京の夜間中学を取材し、50歳を過ぎた生徒の人生を描いた。うまく仕上がったつもりなので反抗したが及ばず、削るのは切なかった。
冒頭の疑問はその頃からなので、もう40年以上になろうか。立場が変わって自らがデスクになると、今度は後輩に同じことを言っていた。「長すぎる」と。紙面全体のメリハリ、見栄えを考えるとやむを得なかった。
こうした歳月の間にパソコンやスマートフォンが登場し、媒体による文章の長さの違いをさらに意識させられることになった。スマホのニュースサイトを見ると、新聞社や通信社からの転載に交じってウェブ・ライターによる独自解説もしばしば目にする。
最近も見出しにひかれて開くと、なかなか見せ場がこなくて画面スライドの根気が続かなかった。
もっとも、新聞も近年では長編連載があり、また海外の論客のインタビューを1ページで展開しているが、長文だが、なぜか読めてしまう。新聞だと全体を俯瞰(ふかん)できるので、記事に合わせて「読む心構え」のスイッチが入るのかもしれない。スマホでは長さが一目で分からず、それが作動しない。
ただ、依然として一般記事の「100行の壁」の問題は残る。かつて先輩から80行程度がちょうどいいと教えられた。400字詰め原稿用紙2枚半だ。読み手が「新聞記事とはそういうもの」と慣れ親しんだ長さなのか。
こんな疑問、こだわりは浮世離れだと承知はしているが――。
元社会部記者・井上憲司