2020年04月20日

Category 法話

文化と生活

そもそも仏教とはどんな宗教?ー宗教と仏教③

お寺や仏像に興味あるけど、仏教の考え方となるとなぁ。宗教ってなんか近寄りがたいような感じがするけど。仏教徒!?と言われると困るけど、でも墓参りをしているし…こんなことを思ったことはありませんか?

知らなくても生活には困らないけど、その教えが人々を支え、2500年以上確かに伝えてられてきた仏教。身近に感じる仏教のギモンから「そもそも仏教とは何か」を考える超入門講座「人生にイキる仏教ー大人の寺子屋講座」。

この抄録は第1回「そもそも仏教とはどんな宗教?-仏教と宗教」の内容③です。

  キリスト教の場合は、神との契約の元で、神の栄光をほめたたえる実践として生活というものがあります。神の意にかなったものであったのか、死後において、神に審判され地獄か天国かの行き先が決まります。これが神の教えに基づいた生活です。

 他の宗教ではそれぞれ教えが異なり、教えに従った生活も異なります。生活の中では食の違いということがわかりやすいですね。インドに行けば、ヒンズー教徒の生活圏になり牛肉を食べてはいけないという形になりますよね。イスラム圏に行けば、ハラールと言って、豚肉であるとか不浄なものは食べてはいけないというのが信仰生活になります。ユダヤ教ではまた違った食の決まりがあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同一の神ですが、それでも教えが違えば、その教えの元に営まれる生活も異なるのです。服装にもそのような教えの違いが表れています。もう今では考えられませんが、日本でも牛肉とか豚肉というものは食べないということが江戸時代まで長らく続いてきました。これも仏教的な理由から、信仰的な生活として行われていたものです。こうした生活が禍を避け、神の恵みや将来の幸福がもたらすと考えるわけです。

 各地の文化にはこうした宗教によって違う生活様式を持つということがあります。これをこのように、教えと行為と結果の違いに拠るものと見れば、わかりやすいのではないかと思います。

 そのような宗教的な教えに基づいた生活があって神仏などの恵みがあります。国や地域の文化の違いはあれど、人々の日常生活の中に、実はこうした宗教性が潜んでいるのです。日本でも、文化や慣習は薄れてきていますが、宗教的な環境の中にある生活習慣に基づいて、私たちは生きています。

 このように教えと生活、もたらされる幸福という構図を考えれば、「宗教」と言っても、奇異に見えたり、摩訶不思議なものを信じるという特別なことではないのですね。実は、私たちの日常生活の構造も同じようなことなのです。私たちの生活と宗教との関係を整理すると、そのように見ることができます。

では、その教えに従った生活によってどうなるのかということが次の問題ですね。

幸せにつながる≫ に続く
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鶴見晃(つるみ・あきら)氏/同朋大学准教授

1971年静岡県生まれ。大谷大学大学院博士後期課程修了。真宗大谷派(東本願寺)教学研究所所員を経て、2020年4月より現職。共著、論文に『書いて学ぶ親鸞のことば 正信偈』『書いて学ぶ親鸞のことば 和讃』(東本願寺出版)、『教如上人と東本願寺創立―その歴史的意味について―』『親鸞の名のり「善信」坊号説をめぐって』『親鸞の名のり(続)「善信」への改名と「名の字」-』など多数。

 

 

写真/児玉成一

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