2021年03月03日
Category サンガコラム
童謡詩人の金子みすゞの詩に出会い、やさしさに包まれた体験をお持ちの方がいらっしゃると思います。いつのころだったか、金子みすゞのつづった詩に出会って、こころの淀みが浄化されたことを思い出します。
わたしたちは「目に見える世界」で考え行動しています。目に見ることが出来て、直接に触れることのできるものを確かなものとして生きています。現代の社会は「見える」「見せる」可視化が進み、さまざまなことが「見せる」「見える」を優先されています。テレビも4Kから8Kへと進化していますから、わたしたちは「目に見える世界」に重きを置いて生活を営んでいるといえるかもしれません。逆に目には見えない不安や恐怖に怯えを感じる風潮があるといえるかもしれません。
金子みすゞが悲しみと苦しみの中から手にした信仰の世界は、「目には見えない世界」です。それは大いなる「はたらき」に包まれ導かれて歩む道といえます。悲しみの渦中に、そして絶望の淵に立ったとき、私ひとりではなく「阿弥陀さま」がいらっしゃることの実感ともいえるものでした。金子みすゞは、悲しみ苦しみを生きているわたしたちに、やさしく包み導くことを「本願」として下さる「阿弥陀さま」のことを懸命に詩で伝えようとしています。
「星とたんぽぽ」につづられているのは、星は昼間は見えませんが、夕闇がおとずれると星が輝きます。金子みすゞは詩のなかで、ほらね、星はあるじゃないですか。わたしたちには見えないけど、宵闇が訪れると星が輝くでしょう。だから、目には見えない大いなる「はたらき」はあるんですよ。悲しみ絶望が暗闇だとすれば、そのとき「ともしび」として星の輝きが「道」を照らしているのです、という声が聞こえてきます。
たんぽぽが枯れて綿毛の真っ白なボールが風に吹かれて、宙に舞います。たんぽぽの綿毛たちが風に舞って飛んでいきます。みなさんは綿毛たちのことを忘れているかもしれませんが、消えたわけではないのです。ほらね、春になったらたんぽぽが咲くでしょう。たんぽぽの綿毛たちは厳しい冬の寒さに耐えて春の訪れを待って咲きます。それは、つらく厳しい冬のトンネルの中で「ともしび」に照らされて出口に導かれれば、その先には陽春の日が訪れます。
「目に見える世界」と「目には見えない世界」のどちらかを選べばいいということではありません。この二つの世界が互いに関係して私たちは生きているのですからそのことに気づけばいいのかもしれません。
佐賀枝夏文(さがえ・なつふみ)滋賀県