2024年11月13日
Category サンガコラム
「ひとりだけど 独りじゃない」―そんなキャッチコピーの旅行ツアーに参加しました。新大阪駅には4組の夫婦と、他に「おひとり様」の私を含めた女性5人、男性3人が集合し、新幹線で広島県福山駅に向かいました。遠慮がちに隣の席の女性が声をかけてきました。「何がきっかけで?」と。私は「和田竜(りょう)さんの小説『村上海賊の娘』の舞台を訪ねたくて」と答えました。その女性はお城が好きで全国を巡っているらしく、今回は海流が自然の要塞となる島城(しまじろ)の能島城(のしまじょう)が目的だということでした。その後、バスに乗り換え「しまなみ海道」で、瀬戸内海を渡りました。翌日は、小船でツアー旅行の最終目的地、能島城に上陸することができました。おひとり様たちはつかず離れず、最小限の会話で1泊2日の旅の時間を共有しましたが、互いの名を名乗ることもなく別れていきました。
『村上海賊の娘』(新潮社)は、大坂本願寺をめぐる「一向宗 (※1) 本願寺派」(原作の表記)と織田信長の合戦を背景にした歴史小説です。圧巻は、毛利家についた瀬戸内・村上海賊と織田側の泉州・眞鍋海賊の戦いですが、私が一番心惹(ひ)かれたのは、歴史には名を残すこともない一向宗の門徒の姿でした。信仰の砦(とりで)、大坂本願寺を守るべく、全国各地から農民たちが、加勢に駆けつけます。安芸 (あき)(※2) 門徒の留吉(とめきち)は、砦の門を開けてもらおうと「御同行の皆々様、……わしらは我が身と兵糧とを馳走に参った者にござりまする」と呼びかけます。私は自分にドキリとしました。それは「御同行の皆々様」という言葉です。御同行は、本来、敵と味方、という立場を超えた信仰の繋(つな)がりを表し、また身分や男女の差別も超えた平等と共存をも意味します。留吉はそのような世界を守ろうとしているのです。留吉の呼びかけは、私への呼びかけのように感じられ、自分も加勢するかのごとく、心は小説の中に吸い込まれていきました。
日本では、さまざまな社会事情によって「おひとり様」で生きていく人が増えてきました。夫に先立たれた私自身もそのひとりです。「自由で良いわ」などと言ってはみても、
自分の感じていることを受け止めてくれる相手がいなければ、心はむしろ閉塞感でいっぱいになり不自由なのだと感じます。あの旅行ツアーも、互いに名を名乗り、感動を共有する旅にすることが出来たら、別れ際にふと感じた空(むな)しさも無かったでしょう。
「人間の本当の願いは『通じ合って生きたい』、これだけなんです」。竹中先生は、人が孤独では生きられないことを切実に示されます。ひとり生まれひとり死んでゆく私たちだからこそ、「御同行」のような通じ合う関係を、自分から手を伸ばして繋いでいきたいものです。
上本賀代子(うえもとかよこ)
大阪府安樂寺