他者と共に哲学する|哲学研究者 永井 玲衣さん 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2022年08月03日

Category インタビュー

他者と共に哲学する

哲学研究者 永井玲衣さん

ずっと本の虫だった。そんな永井さんを変えたのが、大学時代に先輩に連れられた「哲学対話」。他者との対話は難しく、怖い。けど、その怖さ以上に、対話のなかにあるよどみやつっかえ、言葉にならないものにひかれていった。いつの間にか、哲学対話のファシリテーター(進行役)を務めるようになっていた。

 開く人によって定義も場の設定も様々という哲学対話。永井さんは、参加者自身の「問い」を大切にする。日常の中にある何気ない問いですら、みんなで考えて話しあうことで哲学になるのだという。

 いかにも哲学的な「生きる意味とは」という問いも楽しいのですが、一方で、「冬なのになんでアイスが食べたくなるの」とか、「お風呂に入って寝るだけなのになんでお風呂に入れないの」とか、そんな問いが出ることがあります。お風呂に入れないというのは、高校2年生の女の子だったんですけれども、これは、分かっているのになぜできないのかという、「意志の弱さ」と呼ばれる、紀元前のギリシャの哲学者たちが真剣に考えてきたトピックなんですね。問いを育てていくと、日常的な場所から湧き出るふしぎも、実は哲学的な問いになり得るんです。

 多くの人と対話するなかで、実はすごく哲学的な問いに悩んでいる人がいることに気がつきました。「なぜ生まれてしまったのか」とか、「なぜこんなに苦しいのだろうか」とか。そういう問いを、哲学として取り上げることによって、その悩みとあまりに一体化してしまった自分から距離をとることができる。しかも、みんなで問いを分かち持って、考えて話しあうことでその問いを探究できる。そこも哲学対話の魅力かなと思いますね。

 

 子どもの頃から本に親しみ、本から多くの知識を得てきた永井さんにとって、他者との対話はある種「不快なもの」だという。他者とは、自分という存在を揺さぶり、おびやかす存在なのだ。それでも、他者と共に考え続けて、いつの間にか対話の時間は終わっていく。

 わたしたちは普段から様々なものに意味付けして、その意味がはがされた自分を許せないってことがありますよね。哲学対話の約束事として、よく聞くということがあります。わざわざ約束事にするのは、どうしても意味付けしてしまうからです。「こういう役職だから、どうせこういうことを言うでしょう」とか。それは、自分に対しても同じで、うまく話そうとつい考えてしまう。ただ、哲学対話って自分が自分であることを喜ぶ場だと思っています。だから、あなたがその余計な意味付けを取り払って、より自由になって欲しいって願いながらファシリテーターをしているんです。

 私は人と話すのが苦手だったし、一人きりで考える方がずっと性に合っていると思っていました。でも、しっかり一人で考えることですら、他者が必要なんだと気が付いたんですよね。他者に問われて初めて語りだすし、言われて初めて考えだす。だから、他者のことを分かりたいと思う一方で、他者によって私が考えさせられるんです。自分の知っている世界にまだ奥行きがあったんだ、みたいなことに気付く。それを見つけたときに、これまでとまた違う仕方で世界に出会えるのかもしれません。

 

 

<Profile>

永井 玲衣( ナガイ・レイ)

学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。哲学エッセイの連載のほか、坂本龍一・Gotch主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』。

《予告》9月7日配信のシンポジウムに出演予定。詳細は本誌P11にて。

水中の哲学者たち』定価:1,760円(税込)(晶文社)
※電子書籍でもお買い求めいただけます。

 

写真・児玉成一

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