サンガコラム
「手のスポーツ」としての野球
今春のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、侍ジャパンが世界一に輝いた。選手たちの、少年のような懸命さ。トップレベルの技。チームへの献身。それらが合わさり、ゲーム自体が見せた図らざる盛り上がりを、今も鮮明に思い出す。
それにしても野球がこんなに面白いスポーツだったとは!
侍ジャパンの全試合をテレビで見ながら改めて感じたのは、やや唐突ながら、野球はつくづく「手のスポーツ」だということ。投げるのも、打つのも、捕球、タッチするのも、あるいは指示し、サインを出すのも、ほかならぬ手である。走ることさえ、手がなくては不自由する。
そんなことを思ったのも、あのヌートバー選手のペッパーミル・パフォーマンスが日本中で話題になったからだ。「さあ、(粉がミルからあふれ出るように)途切れることなく攻撃を続けようぜ」という話題のパフォーマンスも、やはり両の拳(手)を互いに摺り合わせるものだった。
人類が二足歩行を獲得して以来、移動の役目から解放された手は、新たに人間の文化を促す任を得た。火を熾し、道具を作り、もの、家、墓を作り、社会、国家を作ってきた。一言でいうなら「欲望の充足」(よりよき生の実現)であり、それを手が象徴した。
グローブやミットをはめ、手の形を思い切り拡大強調する野球が、欲望充足社会だった19世紀アメリカで花開いたのも偶然ではあるまい。ただし昨今は、これ以上、手を野放図に拡大させてはならないと読むべきだろう。宗教において、円環を閉じ力が外に向かわないことを示す合掌や、その合掌をゆるく縛める念珠によって手が象徴されるように。
稲垣 真澄(フリージャーナリスト)
学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。
時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。
自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。