託されたもの | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
お問い合わせ アクセス

サンガコラム

託されたもの

託されたもの
深慮遠望VOL.14

 

 押し入れの整理をしていると、思いもかけないものが次から次と出てくる。小学校時代の文集、高校生のとき行った美術展のチケット、大学生のときの北海道旅行の写真、大学院時代の研究ノート、読もうと思ってコピーしたまま忘れてしまっていた論文の写しなどなど。これらすべてが自分に関わりがあったものなのだから、今日まで70年以上生きてきたということには、どれだけ多くの人々や出来事との関わりが含まれていることだろうか。そんなことを考えながら、文集を開いたり、写真を眺めたり、ノートを読み返していると、遅遅として整理が進まない。 

 これらを残しておいても、写真はまだしもノートや論文のコピーは子どもたちには無意味なものでしかないだろう。そう考えて、段ボールから出てくるノートやコピーを切り刻んで廃棄していたが、すでに故人となった知人からの手紙が出てきて手が止まってしまった。

 学生時代の自分の日記はなんの躊躇もなく廃棄できた。しかし、この手紙には決断が下せない。自分宛ての手紙なのだから、この手紙は私の所有物であることにまちがいない。にもかかわらず、この手紙には私の所有物であるということ以上のなにかが加わっている。それは知人と私との関係であり、手紙を廃棄することはその関係をも廃棄することである。だからこそ、この手紙を捨てることができないのである。

 現在は私の所有となっているが、この手紙は本来故人の所有であった。故人がこの私に宛てて語りかけてくれた言葉、それが託されてここにあるのである。託された言葉にいかに応えるか、それこそが求められている。私の所有物であることを越えて、この手紙はそれを私に要求している。捨てられるわけがない。

 

 

 

 

 

池上 哲司(大谷大学名誉教授)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

関連記事 Related Articles