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サンガコラム

遠くから、遠くまで、そして風通しよく

遠くから、遠くまで、そして風通しよく
深慮遠望VOL.10

 日常の小さな事柄にも考えるべき多くの問題が含まれている。たとえば、公園の片隅にゴミの不法投棄が繰り返されるからというので、それを防止するため防犯カメラを設置しようという案が町会の会議に出されるとしよう。勝手にゴミを捨てるような不埒な輩を突き止めるために、あるいは不法投棄を思いとどまらせるために、カメラ設置は有効である。だが同時に、そのカメラは不心得者以外の多くの人々の行動を監視しうるものでもある。つまり、ひとびとに法を守らせるためのカメラが、ひとびとの行動の自由を抑制する監視カメラともなるわけである。

 カメラ設置の利害得失を慎重に見極めねばならないから、この問題は簡単には解決できない。しかし、設置するかどうかは速やかに決定しなければならない。そこで、決定のための考慮すべき点を確認しておこう。

  • ①これまでの歴史で、カメラが設置されることによってどんなことが生じてきたかを知ること。
  • ②これからの技術の進歩で、カメラ設置がどのような事態をもたらすかを予想すること。
  • ③なされた決定の不具合が明らかになったときには、この決定を再度考え直すこと。
  • ④以上の検討過程を記録し、公開できるようにしておくこと。

 人間は愚かであるからなかなか歴史から学ぶことができない。受験のために暗記した歴史知識など役に立たない。自らの身近な問題を具体的に考える際にこそ、これまでの歴史が役に立つ。こうしてわれわれは歴史に耳を傾けることを学ぶ。これが問題を遠くから見るということである。また、歴史を踏まえた上でこれからの展開を予想することが、問題を遠くまで見るということである。そして、上記の③、④が決定の風通しよさ、すなわち柔軟性と公開性である。

 

 

 

池上哲司(大谷大学名誉教授)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

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