羅針盤としての歴史 | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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羅針盤としての歴史

羅針盤としての歴史
深慮遠望VOL.17

 

 

 亡母の反物の中から丸められ黄ばんだ古新聞が出てきた。発行日はなんと「昭和六年五月廿六日」、今から92年前である。自分はまだ生まれていないし、その年の9月18日の柳条湖事件が満州事変の発端となったという日本史の知識しかない。あれから日本はいわゆる15年戦争に突入し、敗戦を経て現在に到った。この間の歴史からわれわれは何を学ぶことができるのだろう。

 そもそも歴史に学ぶということはどういうことか。中学に入ってすぐの中間テストで出題された日本史の問題を見て、歴史嫌いになった。教科書の文章がそのまま出され、所々が空白にされている箇所に正しい言葉を入れろというのである。歴史は学ぶものではなく、暗記するものであると思い知らされた。

 大学生になってから、コリングウッドの『歴史の観念』を読んでいて目を覚まされた。そこには、歴史とはわれわれが自分とはどのような者であるかを知るためのものであると書かれていた。自分が何者であるかとは自分が何をすることができるかであり、それを知るためには自分がこれまで何をしてきたかを知る以外に手はないというのである。これを中学のときに教えられていたら歴史嫌いにならなくてすんだのに。

 古新聞から今日までの歴史においても、われわれ人間はさまざまなことを行ってきた。善いことも悪いことも、優れたことも劣悪なことも、高貴なことも卑しいことも、慈悲深いことも残虐なことも。これらがすべてわれわれ人間という者の在り方を示している。そのような可能性の中から、なにを選び実現していくかはわれわれが自分で決めねばならない。そのとき、歴史は単なる暗記ものでなくなり、われわれの進むべき方向を示してくれる羅針盤となるはずである。

 

 

 

 

 

池上 哲司(大谷大学名誉教授)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

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